はてなブログって1か月かかないとお知らせくれるんですね。こいつはありがてえ
とか思っていたら書こうと思っていた日から9日ぐらいたっていました・・・。
と思っていたら366日たっていました…。
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KACの観戦、すごい楽しみだったのですがコロナウイルスの感染影響でイベントが延期となってしまいました。
ただ、その日に発表されるべき告知内容が次回作の新筐体の話だったみたいで。次回作があることでやったー!となった僕みたいな老人は、新筐体と聞くと昔の筐体を思い出すんですよね。カードを挿入しプレイしていたあの時代を。
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僕がクイズマジックアカデミー(以下QMAと称す)に出会ったのは、高校生の頃近所のゲーセン(以下、ボと略す)でした。そのときはQMA1。ずっと続けていたなら学籍番号はAカード。
なんとなくその筐体に近づいたら、全国の人と戦えるクイズオンラインゲームみたいな銘打ったキャッチコピーがあってすごい衝撃的だったのを覚えています。
あの頃は本当クイズ好きでクイズミリオネアとかVHSに録画したり、晩飯の時間に中学の友達にメールでクイズを出すぐらいでしたから僕にとってはマジかよ!ってかんじだったかもしれません。
そして今思うとあの頃から僕は人様にクソリプを送っていたんだなと思い、正真正銘のクソだなとつくづく思いました。
確かあの頃のボボボは200円入れてクイズしてた気がしますが、とにかくタッチするとその答が選択できたり、テレビはよくみてたから芸能タイピングクイズをやってみようとか思ったら古い問題を出されて撃沈したり、日本全国の人と対戦でき画面の向こう側にはヒトがいるんだと思うと楽しくて仕方ありませんでした。
ボボボルと家から真逆の方向に、シンバシというサラリーマンでごった返していた町があり、その町のビルの地下と地上のゲーセンにQMAがあったので中学の友達(以下Aと称す)を誘ったら、Aがどハマりしてしまい、遊び仲間?みたいなものをいつのまにか築いていました。
僕はあまり初めての人と会話するのが苦手だし、兄弟いないし、むしろ世代が一回りとか二回りとか違う人との交流経験が皆無だったのでゲーセンに集ってワイワイできる人達がいるのって羨ましいというかAのコミュ力に憧れみたいなものがありました。ただAは某巨大掲示板に炎上案件を起こす歴史的な事件を起こしたので、AにQMAを教えなかったら未来は変わっていたのかなと思うときがたまにありますので憧れてたってのは撤回します。
ツイッターでo浜氏のことについて激高しているフォロワーさんのつぶやきをみるとなんとなく重なる。
QMA2のころだったか、なにがきっかけだったかすっかり忘れてしまい申し訳ないのですが、
QMAのオンラインでチャットかなにかで知り合った西尾由佳里さんが大好きなプレイヤーさんのFC2日記だったか前略プロフを発見し、そこにコメントを付けていくうちに大阪で逢いましょうってなって人生初めて大阪へ遠征したことがありました。そん時はホント冒険のように感じました。例えるならルフィがフーシャ村をでるようなそんな感じ。
大阪ではペンギンというお店でビシバシチャンプをしたりQMA以外のゲームですごい盛り上がった記憶があり、自分がこのゲームを続けるきっかけにもなった気がしました。
その後QMAは作品を変えて大賢者が終了なのに全然ゲージが伸びなくてクソだと思ってた作品やら、次のステージにいくのに投票して先を選ぶという作品やら、次の階級に到達するためにミッションをクリアしないといけない作品やら、QMAは変遷していく中で
僕はシンバシにいったりボボボボルテに行ってはクイズをしていたのですが、いつだったかジョイランド新橋に行った時にお会いしたロンさんという方が僕に気軽に「ほれ。Aの友達なんだろ」と言いながら缶コーヒーをくれたのが今でも忘れられません。別に120円の商品をくれたことではなく、初めて会うのにこんなラフに受け入れてもらえるのだろうかと。でもお陰であの時の新橋のメンバーの方々とお話ししたり、飯に行けたりしたことは、本当に貴重な経験だったなって思います。
正直ボボボボルテッなんかにいってもQMAしかやらない脳人間の僕が、QMA後にみんなと飯に行くとか、中学の頃からしたら想像つかなかったろうと思います。
ボボボボルテックが深夜プレーも可能だったから、夜中まで遊んだこともあったり、夜のトナメで「まるばつやろーぜ」 って呼びかけて〇×杯を起こして〇×メダルをゲットした人とマイミクになったりとかこういうエピソードを語るとほんとキリがない。でも僕はそれくらいオンラインゲームにのめりこんでいたんだなって。
あれからプレーする店は変われどシンバシでQMAをする日は増えていき、どんどんとみんなでワイワイしながらQMAをすることに面白く感じていました。クイズの話になり恐縮ですが、「この問題はx2だよ!」とか「この人はスポ択が苦手なんですよ〜」とか他愛もない話でへぇそうなんだと知ることが増えていき、一人でQMAしてちゃ味わえないことが経験できた気がします。
そんななか段々と都合でQMAを引退される方や、引越しで簡単にシンバシに来られなくなる方も多くなったなか、Aも段々とクイズより別の何かに熱中したみたいでゲーセンに来ず、一人黙々とQMAする日が続きました。ボボボボルテックスもその頃閉店したんだっけかな?
そんなときに出会ったのがオナニストさんという方でした。彼もまた僕に缶ジュースをおごってくれた気さくな方でした。今思えばその缶ジュースを自分のクレ代に使えばいいのにという当時の考えがいかに浅いか浅いか。
あのときの缶ジュースの味は正直もう覚えていませんが、一緒にスカイツリーをみに新橋から業平橋まで歩いて、まだできかけのスカイツリー(300mくらい?)をガラケーのカメラでパシャってした思い出は一生忘れないと思います。てか300mくらいのスカイツリーってもう二度とみれないよね、オナさんはそういう人だった。
そんなオナさんがコンマイにルキアと変えさせられてもめげずにスポーツ四択をトナメで投げ続けていました。オナさんはそういう人だった。今思い返すと、なんで僕は社会その他ばっかりレッスンモードでまわしていたんだろうと思いました。勿体ない。後悔航海公開中みたいな思い。
その後QMA7か8あたりでシンバシからQMAがなくなり、蒲田のアドアーズでQMAをしたりする生活が続き、QMA8になったころ僕は東京都民を引退したのでした。
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長くなったけど結論としていうとこのゲームに出会ってよかったと思ったし、このゲームがきっかけで仲良くなった人がいた思い出は死ぬまで大切にしたいなと改めて思いました。
QMA辞めちゃった方でも僕を覚えてくれていたらまたいつかどこかで会って一緒に遊んだり飯行ったりしたいですねって。
そんな思いを凝縮してこの番組でお伝えしたかったのですが、そんなに甘くないですね。次回機会があればリベンジしたい思い。ふじたにみくのこれすこ 第四回。手前味噌ながら自分の声がそこまで気持ち悪くなかったからよかったです(棒読み)
https://m.youtube.com/watch?v=WSv6w3-QzYU